昔々、あるところに、世界中のあらゆる富を手に入れた王国がありました。
王様のお城は世界中から集められた宝石で飾られており、冠は魔法使いが秘密の儀式でつくり出した金属でつくられておりました。そうした綺麗なものたちは、空に白味が差した瞬間から、夜の見張りの最後の松明が消える瞬間まで、常に、きらきら、きらきらと輝いているのでした。世界中の色を集めたかのようなその王国の輝きは、太陽よりも凛々しく、月よりも冴え冴えとしておりました。
王様自身も威風堂々とたくましく、生真面目な目元と引き締まった口元の美男子で、武と政に優れた、名君と呼ぶにふさわしいお方でありました。
お妃様は何よりもすべらかな生地のドレスをまとっておられ、昼には太陽の女神と、夜には月の女神と、見間違うばかりの美貌を誇っておりました。美しいお妃様は王様を心から愛しておられ、お二人のなんとも仲むつまじくあられる様子がまた、お妃様の美しさと、王様の偉大さを惹き立てるのでした。
王様がお妃様と結婚されてから三年目、ついに待望のお世継ぎがお生まれになりました。
丸々とした立派な男の赤ん坊でした。お祝いに駆けつけた賢者と学者と預言者が、三日三晩の議論の末に、もっとも栄光を約束されたお名前を決めました。徳の高い司祭様が王子様の運命を祝福し、また、王様とお妃様、そして、王様の国の運命に光があるように祈りました。
小さな希望の誕生によって、王国はますます栄え、王様のお城には輝きが、人々の暮らしにはにぎわいが、それまで以上にもたらされました。国中の誰もが明日を楽しみに毎日を過ごした、それはそれは幸せな時間でありました。
王子様が三歳になられた夏、国に疫病がはやりました。それは誰も聞いたことがないような恐ろしい病いでした。かかった者はその日のうちに高熱を出して、ひっきりなしに渇きを訴え、けれども水を飲み込むことができず、多くは三日のうちに衰弱して命を落としてしまうのでした。病いは、家族や恋人、ひどいときには医師や司祭を伝わって、あっという間に広まりました。
王様は手を尽くして外国から有名な医師や魔法使いを呼び寄せ、病いをしずめる方法を調べさせましたが、誰もそれをなしとげることはできませんでした。
病いは冬にはおさまりましたが、次の春にはまたよみがえりました。あんなに希望にあふれていた町は、まるで墓場のように静まりかえりました。人々は病いを恐れて戸を閉めきって閉じこもり、もしかすると死に絶えて横たわっておりましたから、誰もいない通りを我がもの顔で闊歩するのは、陰気で情けのない死神ばかりでした。
幼い王子様が病いにかかられました。
偉大な王様も、美しいお妃様も、もう祈ることしかできませんでした。
夕暮れも近づいた頃、ひとりの旅人がお城を訪れました。旅人は、病いを治す方法を知っていると言いました。怪しい者は誰一人として通さないはずの厳しい門番は、その旅人を王様の元へ連れていきました。旅人の言うことが嘘であったら、すぐにその首をたたき落としてやろうと決めていましたから、門番は常に、旅人の背後にぴたりと寄り添っていました。
旅人は門番の意図を知ってか知らずでか、王様とお妃様に言いました。
「はじめまして、偉大な王様、美しいお妃様。僕はこの国から死神を追い出す方法を知っています。もしもお二人が僕の望みを、三つだけ、何でもかなえてくださるのでしたら、僕が、おかわいそうな王子様も、苦しむ国中の人々も、みな助けて差し上げましょう。まどろみはじめた太陽が眠り、これから現れる月もまた眠るまでの間に」
王様は、少しお悩みになった後、旅人の提案をお受けになりました。もう他に方法がなかったのです。旅人は礼儀正しく一礼しました。彼はお二人の前を辞すと、ぴったりと背後についていた門番に別れを告げて、お城から出て行きました。
旅人が何をしたのかを、恐らく他の誰も知りません。ただ、次の朝日が王様のお城をまぶしく照らす頃、王子様の熱は下がり、冷たい果実を召し上がれるほどに元気になられました。
通りには、恐る恐る戸を開けた人々の姿が見られました。彼らはやつれたお互いの顔を見合わせて、誰一人として高熱と渇きに体を震わせてはいないことに気がつくと、抱き合って神に感謝しました。
国から病いは去ったのです。
その日の夜、旅人が再びお城を訪れました。門番は、今度は大切な客人を守るために、少しの距離をあけて、王様とお妃様の元へ案内しました。
旅人は王様とお妃様の前にひざまずきました。王様は旅人に心から感謝し、王妃様は喜びのあまり真珠のような涙を流しました。旅人はうやうやしくお二人のお言葉を聞きました。そして言いました。
「ご満足いただけましたでしょうか。でしたら、どうか、お約束をかなえてはくれませんか」
王様は旅人に望みを尋ねました。
旅人は答えました。
「僕の望みは三つです。いただきたいものが三つあります。一つは、王様、あなた様の偉大さを。二つは、お妃様、あなた様の美しさを。三つは、王子様の賢明さを。僕は「今」と引き換えに「未来」をいただきにきたのです。病いを受けてなお地上にまばゆく輝く王国に嫉妬した、太陽と月の使者として」
お城の兵士たちが一斉に剣を抜きました。門番もそうしました。
しかし旅人は笑っていました。
「僕は、治すと言った病いを治したように、いただくと言ったものは必ずいただきます。ほら、偉大さも美しさも賢明さも、すでに僕の手の中に」
そうして旅人が掲げた手には、誰も見たことがないほど大きな宝石が握られていました。その宝石には、不思議な荘厳さと、透き通るような麗しさと、深淵のような怜悧さがありました。世界中のすべての輝きを混ぜたかのようにきらめいており、その色をあらわす言葉は地上のどこにも存在しませんでした。
旅人は突きつけられた剣の切先など気にもとめず、礼儀正しく一礼し、そして幻であったかのように消えてしまいました。後にはただ、敵を見失った兵士たちと門番、そして偉大さを失った王様と、美しさを失ったお妃様が残されました。
賢明さを失った王子様の泣き声が、わんわんと響いていました。
三年後、王様の国は隣国の侵攻を受けて滅びました。
◆
さて、時はさらに十二年後に移ります。
あるところに一人の若者がいました。若者は強くたくましくありましたが、少しばかり思慮に欠け、力を持てあますばかりに、人々からは敬遠されていまました。彼には幼い頃の記憶がなく、そのことも、がむしゃらさに拍車をかけているのでした。
若者が住む町に、ある日、隣国から大勢の旅人が訪れました。旅人たちは一様にたくさんの荷物を背負い、大急ぎで町を通り過ぎていきました。町の人のひとりが、旅人に、そんなに急いでどこへ行くのかと尋ねました。旅人は、竜から逃げるのだと答えました。隣国に現れた竜が火を吐いて暴れまわり、家を壊して動物や人を食べてしまうので、とうてい住みつづけることはできないのだと。
しばらくして、隣国が滅びたという話が聞かれるようになりました。すると竜は若者がいる町がある国を襲うようになりました。立派な将軍が、そろいの鎧を身につけた兵士たちを連れて町を通り過ぎました。そして戻っては来ませんでした。二人めの将軍も、三人めの将軍も戻りませんでした。
王様の使いが町にやってきて広場に知らせの札を立てました。竜を倒したものの望みを何でもかなえようと。王様にそこまで言わせるほどの恐ろしい竜のことを思い、人々は震え上がりました。しかし勇気がある者、無謀な者たちは、先を争うように竜退治の旅に出発しました。
若者もその一人でした。若者は立て札を見るなり、望みのことで頭がいっぱいになってしまったのです。彼にはかなえたい望みがありました。あなたにはおわかりでしょう、そうです、彼は幼い頃の記憶を取り戻したいと思っているのでした。そうすれば、身を焦がして彼を暴れさせる衝動の正体も、出自がわからない不安も、取り除かれるはずなのですから。
若者は、隣国だった廃墟の国へ赴きました。頭には古びた兜を、体にはほつれた鎖の鎧を、腰には幼い自らとともに置き去りにされていた見事な剣をつけていました。兜と鎧は、旅立つ時に町の人々が贈ったものでした。彼らは若者を避けていながらも、その強さとたくましさは認めていましたから、恐ろしい竜に挑みにいく勇気ある若者に、できる限りのことをしてあげたいと思っていたのでした。
若者は廃墟を荒らす盗賊や、手柄を狙う他の勇者たちと、時に戦い、時にたき火のそばをともにしながら、歩きつづけました。一月が経ち、二月が経ち、そして三月が経ちました。時折遠くの空を駆ける竜の影を追って、若者がたどり着いたのは、かつて隣国の王様のお城があった、大きな都でした。
都は竜の火で燃やされて崩れ落ち、残った石の建物も、真っ黒く、ところどころ溶けてしまっていました。竜の吐く火は、石も鋼も溶かしてしまうのです。都にたどりつけた勇者たちはそのことに気がつくと身震いしましたが、若者は、石や鋼を溶かすのにどれだけの熱が必要なのかを考えませんでしたので、ついに近くまで来たのだと、しみじみ思うだけでした。
若者は、人の姿がない都の大通りを抜けて、お城へ向かいました。竜が入れるほど大きな建物は、他にはないように見えたからです。焼け落ちた門を通り抜け、大きな入口をくぐり、まっすぐに歩きつづけると、やがて、見渡す限りの大きな広間に出ました。天井はすっかり崩れて青い空が見えていました。壁も半ばが崩れて溶けて、昔の様子は見る影もありませんでした。
けれど、若者は、何だかこの場所が懐かしいような気がしました。しかしいくら考えてもその懐かしさの正体はわからず、それはいつの間にか怒りに変わって、若者は奥歯を軋ませ拳を握りました。
その時、頭上から大きな影がさしました。若者の前に舞い降りたのは大きな竜でした。硬く分厚そうな鱗がびっしりと生えており、頭には三本の角が、顎には尖ったたくさんの歯が生えていました。
「これはこれは、また愚かな人間が訪れたのか」
竜は人間の言葉で言いました。若者は驚いて竜を見上げました。竜は得意げに笑いました。
「まったく、僕が人間の言葉を話すと皆おなじような反応をする。お陰で人間の表情までわかるようになってきてしまった。次にすることもわかっている。ぱちくりと瞬きをして、慌ててその小さな武器を僕に向けるのだろう」
若者はまさにそうしようとしていました。しかし言い当てられてしまうと何だか居心地が悪く、剣に手をかけたまま、鞘から刃を抜く寸前で動きをとめてしまいました。若者は困ってしまい、竜に、なぜ、人間を襲うのかと尋ねました。竜はまた笑いました。
「もちろん胃袋を満たすためだ。そんなことがわからないとは、きみはずいぶんと思慮が欠けているようだ。その率直さに免じて本当のところを教えてあげよう。欲深い愚かな王が、この王国だけで満足していればよいものを、留守中に僕の寝床を荒らして宝物を持ち去ったのだ。大したものではないのだが、僕の気高く気難しい二人の主は、その宝をたいそう気にかけていて、人間の手に渡すことを嫌っている。だからわざわざ、僕がこうして人間の王の寝床まで、その宝を取り返しに来たというわけだ。それに、ここにいれば次から次に獲物がやってきて、空腹にも困らない」
その宝とは何なのか、と若者は尋ねました。どうしてだか、竜が言うその宝物がひどく重要なものと思えたのでした。
竜は答えました。
「太陽か月かと見間違うほどに栄えた王国の、未来と希望だ」
途端に若者はすべてを思い出しました。あの病いの夜、国から輝きを奪ったのが、ひとりの旅人だということを。そして気づきました。いま目の前にいる竜こそが、己からすべてを奪ったのだということを。若者は剣を抜いて、怒りに任せてやたらめったらに斬りつけました。竜の鱗は若者の剣を簡単に跳ね返しました。それでも若者は剣を振り回しました。
竜はその様子をつまらなそうに眺めていました。若者のように剣で鱗を叩きつづけた勇者は何人もいましたが、すぐに、鱗の硬さに絶望し、疲れ果て、立ち上がれなくなってしまうのです。竜はそれを鋭い爪で拾い上げ、ひとのみにしてきました。その前に逃げようとした者もいましたが、離れた途端、竜は石も鋼も溶かす火を吐いて、一息で焼き尽くしてしまったのでした。
「無駄だ、人間」
竜はあざ笑いました。しかし若者は剣を手放しませんでした。彼は賢明な人が時にそうしてしまうような、諦めるということを知らなかったのです。そしてついに、竜の鱗の一枚に、ぴしとひびが入りました。
竜は慌てて若者を踏みつぶそうとしました。若者は身軽に避けて、愚かなほどに、ひたすらに、竜の鱗に剣を当てつづけました。竜は暴れましたが、お城の中は竜には狭すぎて、うまく身動きができませんでした。しかし若者が走り駆けまわるには、じゅうぶんな広さがありました。
竜が空へ逃れようと翼を広げたとの同時に鱗が割れ、若者の剣が竜の体に突き刺さりました。
悲鳴が空に響き渡りました。太陽が落ち、月が砕けるかというほどのとどろきでした。
あまりのことに若者は耳をふさいで、それでもくらくらとして、剣を手放してしまいました。
竜は若者を振り払い、そのまま空へ逃げていきました。竜の体から落ちた剣が、きん、と高い音を立てました。
若者は剣を取りに近づきました。そして、竜が先ほどまでいた場所に別のものが落ちていることに気が付きました。
落ちていたのは一つの宝石でした。その宝石には、不思議な荘厳さと、透き通るような麗しさと、深淵のような怜悧さがありました。世界中のすべての輝きを混ぜたかのようにきらめいており、その色をあらわす言葉は地上のどこにも存在しませんでした。
若者は剣を持ってその宝石の前にひざまずき、亡き王様とお妃様のために祈りました。
偉大で凛々しく、そして聡明な王子様がお戻りになり、そして王様となり、失われた国はよみがえりました。
富はあらゆると言うにはおよびませんでしたが、人々の笑顔の明るいことは太陽のよう、人々の安らぎの深いことは月のような、地上にあふれるすべての色を集めたよりもまぶしく輝く、素晴らしい王国であったといいます。